なりたてオジサン司書の日々葉々

30歳過ぎて脱サラからの司書になったオジサンの日記です。司書課程のレポートや、あとは趣味のアレコレを書いています

生涯学習概論レポート「ポール・ラングランの生涯教育理論が我が国の施策に及ぼした影響について述べて下さい」

 つい先日、近畿大学の司書課程にて司書資格を取得することができ、いまは図書館で働くことが出来るようになりました。

 司書課程を学んでいる際、レポート提出時に他の方のレポートが拝見できたことが非常に助かったので、私も微力ながらこれから司書を目指そうという方のお役に立てればと思い、合格時のレポートを公開したいと思います。

 非常に拙いレポートで恥ずかしさもありますが、少しでも参考になればと思います。

 

生涯学習概論「ポール・ラングランの生涯教育理論が我が国の施策に及ぼした影響について述べて下さい」

 

 1965年の成人教育推進国際委員会にて、当時ユネスコの成人教育部長であったポール・ラングランが提出した「生涯教育について」と題するワーキングペーパーが、世界で議論を呼んだ。
ポール・ラングランの提唱する「生涯教育」とは、人が一生涯の間、生活の全領域に渡って行われる総合教育の理念であるとしている。それは個人が得られる様々な教育の機会を、個別に考えるのではなく、家庭・小・中・高・大学校のみならず、労働者にあっても教育・文化休暇を促進させ、社会全体で統合された教育を考えていくものであった。
 19世紀の産業革命以後、急速に発展していく文明が社会にもたらした激しい変化への適応が困難になっていった。これに対しラングランは「現在我々の時代が直面している政治的、社会的、そして経済的な問題点こそが、われわれに対する挑戦でありわれわれは、これを迎え撃つ準備をしておくことが必要である。そしてそれこそが生涯教育の最も大切な、改革の道筋である」(参考1)と生涯教育の重要性を述べている。
 ヨーロッパ全体で見ると、フランスでは1789年のフランス革命当時、国民議会に提出された「公教育の全般的組織に関する報告書及び法案」で既に学校教育後も教育は続いていくべきであると述べている。また、イギリス、オーストラリアでも1900年代初頭に生涯教育の必要性が成人教育学者によって提唱されている。まだこの頃は生涯教育の考えが画期的であったために、一般的ではなく、受け入れられ難いものではあったが、間違いなく教育思想へ一石を投じたものであった。 
 こうした流れの中、遅れながら日本では前述の成人教育推進国際委員会に出席した波多野完治氏によって生涯教育の考えが持ち帰られ、日本国内で生涯教育という考えが議論されていった。
 実際、日本では戦後から立ち直り、高度経済成長期を迎えていた時期であり、急過ぎる成長によって環境問題や社会問題が顕れ始めていた。その為、労働者になっても教育を受け、変化に対応していくという考えが受け入れられやすくなっていたのである。
 数年後の1970年、国民生活審議会は「成長発展する経済社会のもとで、健全な国民生活を確保する方策に関する答申」にて、変化する社会への適応手段として「能力の開発、向上の場の確保」という方策を提唱した。
 直後の1971年、中教審と社教審は従来の学校教育中心の体系を反省し、統合された教育、つまり生涯教育の考え方の導入の必要性を述べた答申を発表している。
 しかしオイルショックや、それに伴う欧州の景気の低迷等による混乱のため、生涯教育論は停滞していた。そんな中、1981年に中教審が発表した「生涯教育について」の答申が生涯教育の考えを大きく推進させた。生涯教育を実現させるには、生涯教育の仕組みが課題であり、さらに家庭・学校・社会教育それぞれの領域での課題を挙げた。今までは単なる理想であったものが、この答申によって課題解決の為の具体性を持ったのである。そしてこの答申は「生涯教育」と「生涯学習」を明確に区別して定義付けた。「自発意志に基づいて、必要に応じ、自己に適した手段・方法を自ら選んで行うものを生涯学習と呼び、その生涯学習のために社会の様々な教育機能を総合的に整備・充実させようとするのが生涯教育である」(参考3)とした。
 政府はこの中教審の答申を受け、内閣総理大臣の諮問機関として臨教審を部内に設置した。これはただの教育の範囲を出て、人の一生に関わっていく事柄であると受け止められたことで、他の省庁にも関わってくるため、広い管轄を持つ機関が必要になった為である。
 臨教審は3年という限られた機関の中で、第一次から第四次までの答申を行った。この時、「学習は自由な意志に基づいて、自分に合った手段や方法によって行われるという学習者の立場」から「生涯学習」と呼称が統一されるようになった。
 臨教審が行った答申の中で「生涯学習」という考え方が大きくクローズアップされたのは第二次答申であった。その特徴は「これからの学習は、学校教育の自己完結的な考え方から脱却して、生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系の総合的な再編成を行い、新しい柔軟な教育ネットワークを形成する」(参考3)という点にあった。
 これらを経て、1990年に生涯学習振興法が可決され、施行された。こうしてポール・ラングランの「生涯教育」の提唱から25年、日本にてようやく法として「生涯学習」が制定されたのであった。この後も時代に合
わせて教育基本法が改正されるなどし、変化に適応していく。
 
 変化とは未知であり、未知とは不安である。当時、戦後からの復興、そして急速な発展は国民にとって希望と共に不安もその心に抱かさせていた。ポール・ラングランが提唱した生涯教育はその変化に対応するための方策として、人々の道標となった為に、受け入れられたのではないだろうか。

 目まぐるしい変化を続ける今日、私達もこの挑戦に立ち向かうべく学習し、適応するための方策を考えていく必要がある。

 

〈参考資料〉

坂井暉著「生涯学習概論」近畿大学 通信教育部 2012

 

 

 

1番最初に書いて、最初に合格を貰ったレポートです。

合格するには、テキストを読んで、レポートの設題に沿ってテキストの内容をまとめればいいのかな、という印象を受けました。